鉄道遺産群紹介

鉄道遺産を巡る散歩みち

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鉄道遺産群Q&A

※質問をクリックすると回答が出ます。

Q1 鉄道遺産って何?

 

明治23年(1890年)、関西(かんせい)鉄道が開通しました(四日市・草津間)。 明治21年(1888年)工事が開始され、関~柘植間には特に山や川や道を越えるための隧道(トンネル)や橋梁(鉄橋)などが多く作られました。

 

その遺構物群を鉄道遺産群(鉄道関係の近代化遺産)と言い120数年経過後、関西本線となっている現在でも現役として立派にその役目を果たしています。 


Q2 どうして鉄道を通そうとしたの

関西鉄道は、民間の資金で造られた民営の鉄道です。 明治5年(1872年)、日本に初めて鉄道が開通(新橋・横浜間)し、明治22年(1889年)には岐阜関ヶ原を通る東海道線(国営)が全通(東京・神戸間)し、まさに日本は鉄道の開設ブームでした。

 

そういう時代背景があり、しかも、名古屋からは明治以前の東海道を外れ関ヶ原周りの国営鉄道開設。そこで三重県及び滋賀県の東海道宿沿いに鉄道をという民間有志が発起人となり、関西鉄道会社(本社 四日市)を設立して鉄道を開設しました。  


Q3 関~柘植間の工事の様子は

 

この区間の工事は、関西鉄道開設区間中で最大の難工事個所だったようです。

 

この工事での犠牲者を弔うため、加太地区有志に寄付を募り、この工事に携わる石工たちに依頼し、33体の石仏(観音菩薩)を彫ってもらい、市場地区北側の山(観音山 鹿伏兎城址への道の中腹)に安置しました。

 

石工たちは、雨降り仕事に石仏を彫ったそうです。(写真参照) 


Q4 鉄道遺産の一つ 隧道(トンネル)は何か所あるの

金場・坊谷・加太の3か所です。


Q5 3つの隧道の造りは同じですか

(1) 金場隧道(トンネル) (関側坑門)

 

 全長260m、胸壁(パラペット)部分が五角形の屋根型は、他の隧道とは違った特徴です。壁柱はありません。

(2) 坊谷隧道(トンネル)(加太側坑門)

 

 全長163m、1対の壁柱間の上から「笠石」・「胸壁(レンガ使用)」・「帯石」・開口部中央の「要石」とアーチを造る「迫石」等で構成されます。

(3) 加太隧道(トンネル)(柘植側坑門)

 

 全長929m、構造は坊谷隧道と同じ。胸壁に滋賀県水口出身で貴族院議員でもあり「明治の3筆」の一人と謳われた「巌谷 一六(本名 修)」の筆による「加太」の「題額」があります。

 

* 隧道内部は、3隧道とも煉瓦(レンガ)積です。


Q6 加太隧道だけになぜ「題額」が

@ 加太隧道の特徴は

 

(1) 全長929mと特別長いので中央付近で縦坑を掘り、加太・柘植・縦坑の3か所から掘り進めました。縦坑(堅坑)の併用は、鉄道用としてはわが国最初の工法とのことで鉄道会社の意気込みが窺えます。

 

 

(2) 加太側開口部の標高は約270m、柘植側開口部標高は約290mで約20mの標高差があり、しかも、全長が長いので「下りの蒸気機関車」の排煙に苦労があり、今は蓋がされている堅坑の傍に排煙塔(?)らしき煉瓦造りの構造物があります。大正13年ころには加太側坑門に「幕」が取り付けられ、列車が通過すると同時に「幕」を下し、空気の流入を防ぎました。

 

 以上、最難関工事であったろう加太隧道の完成は、関西鉄道開通のシンボルでもあり、貫通時には祝賀祭が行われ、三重県・滋賀県等の関係者の喜びでもあったことが、この「題額」から窺えるのではないでしょうか。


Q7 他に鉄道遺産は

いろいろありますが、まず、架道橋です。(写真参照)

 

加太駅は、標高(海抜)約160mの地点にあり、加太隧道の標高は約270mです。高低差約110m・距離約5㎞に盛り土した堤防(23ヶ所)を築いて線路を敷設しました。「堤防」と「道」とが交差する場所に造られたのが架道橋です。

 

(1) 大和街道架道橋(北在家側)

北在家集落の西で大和街道(旧国道25号線)を跨ぐために造られました。

架道橋を含むこの堤防(大築堤)は、関西鉄道沿線で最長で最も高く地元では高堤防と呼んでいます。

この架道橋は、幅4.5m、長さ約15m、アーチ頂上まで約5m。現在でも大型ダンプが楽々通っています。明治初年までの大和街道の賑わいが感じられます。

架道橋内部は、石で5段の布積・煉瓦は垂直部分イギリス積・アーチ部分長手積で仕上げられていて120余年が経つも現役です。

開口部の構造は、近くに案内板があるのでよくわかります。

 

(2) 第165号架道橋

 板屋集落の北側にある「林道板屋線」を跨ぐ架道橋です。

幅2.4m、長さ約15m、高さ(最高部)約2.8mの規模です。

大和街道架道橋と比べると規模が小さく、石の使用は、5段の算木積「隅石」のみであり、内部や「帯石」「笠石」「要石」「迫石」部分もすべて煉瓦使用です。

 残念ながら、南側のアーチ部分の煉瓦は剥がれている部分がありますが、北側部分の保存状態は良好です。


Q8 どのように川を渡ったの

@ 二つの方法が考えられました。一つは鉄橋(橋梁)でもう一つは水マンボ(橋梁)です。川幅や地形、堤防との関係等を考慮してのことだと思います。これらも立派な鉄道遺産です。

 

@ まず、鉄橋を紹介します。(写真参照)

川幅により橋脚の数(0~数本)が異なります。基本的には1対の橋台と橋脚からなります。

(1) 市ノ湯川橋梁

 

 橋脚の石積部分は、「五角錐台」で上流方向が鋭角になっています。

 

 その上に乗る「四角錐台」は、算木積の隅石と隅石の間の面をイギリス積でレンガを積んでいます。

 

 なお、両側の橋台も「算木積の隅石」と「イギリス積レンガ」の調和が素敵です。

(2) 屋渕川橋梁

 

 橋脚は2本、しかも、石積部分・レンガ積部分一体の「四角錐台」で橋脚が造られています。

(3) 板屋川橋梁

 

 河原にそびえ立つ高さ十数mの橋脚は、見事なものです。

 

 石積の下部は「五角錐台」・上部は「四角錐台」、その上の帯石に隅石とレンガ積の「四角錐台」が乗る橋脚です。

 

 また、橋脚を構成する1つ1つの石は、四辺を小叩きして平面に加工(江戸切)されています。

(4) 坊谷川橋梁

 

 坊谷隧道と坊谷踏切の間にある橋梁です。橋脚・橋台ともほとんど石積で、橋脚の五角錐台は横幅が狭く、縦に長いのが特徴です。

(5) その他の小規模橋梁

 

 小川など幅の狭い川を渡る数か所の橋梁は、橋台のみで線路を渡たしてあります。

 

レンガ使用の橋台もありますが、中在家地内にある喜和田川を渡る2か所の橋梁の橋台は、すべて石積です。

@ 次は、「水マンボ」とも言われている構造物を紹介します。(写真参照)

(1) 大崖川橋梁

 

 北在家西側で大和街道と加太川を横切る高堤防があります。その高堤防が加太川を跨ぐために造られたのが水マンボです。

 

 すべて石積の坑門の幅は7.3m、そして、河床からスプリングラインまで10段の石積が左右約73m続き、しかも河床には間知石が敷き詰められています。スプリングラインより上のアーチ型天井には、レンガが「長手積」でびっしり張られており圧巻です。

 

(2) 市場川橋梁

 

 市場川を跨ぐ水マンボです。基礎部分2段の石積を除き、すべてレンガで造られています。特に、スプリングラインには模様(雁木)が施され、

 

坑門のデザインと伴にこの橋梁の美しさを強調しています。

 

 なお、この橋梁は、加太駅設置の際に拡張されており、中央で左右のレンガが違うのがわかります。また、内部の通路は後年造られたものです。

 

(3) 虻谷橋梁

 

 坑門の幅約4m、高さ約4~5m。河床が梶ケ坂含礫砂岩層で硬いため、

 

一方は基礎石を1段のみ使用、他方は直接岩盤からレンガを積んでいます。

 

ほぼすべてレンガ使用の水マンボですが、南側坑門と北側坑門では若干デザインに違いがあります。

 

 ほとんど人目につかずひっそりと線路を支えています。

(4) その他の水マンボ

 

*ごく小さな谷の水路です。北在家集落西から大和街道架道橋までの間に2か所あります。

 

◎ 東側  水路幅0.9m、高さ0.9m、奥行き約100m石積2段、アーチ天井部分レンガ積。

◎ 西側  水路幅 約1m、高さ約1.3m、奥行き約100m石積3段、アーチ天井部分レンガ積、河床 2列の石畳。

 

*中在家地区の堤防では、山から出る水を1か所に集め、水路を通して水を流しています。


Q9 それぞれの構造物に石やレンガが使われていますが、産地は?

@ 使用されている石は花崗岩ですが、産地はどこで、どのようにして膨大な石を運んできたのかわかりません。もしご存知の方があればお教えください。

@ レンガ(煉瓦)は、地元産です。今のところ分かっているのは、現在 伊賀市岡鼻の「一ツ家」地内と亀山市加太中在家の「岩ノ本」地内の2か所です。

 

何れの地も「一ツ家断層(破砕帯)」地帯に含まれ煉瓦製造の原料となる「粘土」が産出します。

 

いずれの場所も窯跡は不明ですが、煉瓦片が多数落ちています。(写真参照)


Q10 他に鉄道遺産と言えるものはありますか

@ 鉄道遺産と言えるかどうかわかりませんが、高堤防(大築堤)や石垣(石積)・信号所や加太駅もなかなか素晴らしいと思います。(写真参照)

(1) 高堤防(中在家大築堤)

 

 加太駅と加太隧道の標高差約110m。距離約5㎞。この高低差を上りきるために築かれた築堤は20数か所。その中で最長の築堤です。長さにおいても高さにおいても関西本線のみならず我が国有数の大築堤では?

 

 なお、高堤防や屋渕川橋梁~板屋川橋梁間の堤防の法面には、間知石の「石張り」がなされています。法面の土砂流失に対する対策と考えられます。築堤が出来た当時の景観はきっとすごかったことでしょう。

 

(2) 金場隧道~坊谷隧道間の石積(石垣)

 

 関~柘植間の鉄道沿線には膨大な数の石が使用されています。その石積は、開業当時から現在まで約120数年間、ほとんど痛むことなく、びくともせず、鉄道線路を支えてきました。

 

 その中で、金場隧道から坊谷隧道までの区間は、河床から「8段の布積」とその上の「谷積」の石積で川面とよくマッチしていて美しい景観を醸し出しています。

 

 

(3) 加太駅

 

 関西鉄道開通時には加太駅はなく、明治28年に停車場新設申請が出され、明治29年(1896年)に加太停車場ができました。

 

 現在の加太駅舎は、大正11年(1922年)に建てられたもので、長いプラットホームは貨物列車運用(昭和37年終了)の名残りです。

(4) 中在家信号所

 

 旅客や貨物を取り扱わない停車場の一種で列車の行き違いのためのスイッチバックの線路あります。

 

 蒸気機関車の時代は、信号機やポイントを扱う職員が数名勤務されていましたが、ディーゼル列車の登場や信号機等の操作自動化により、現在は無人化されています。


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